HADO 世界大会 で感じた ストーリー を 強烈に 体感させる ポイント

事例

【第3回】なぜ「HADO」を始めたのか ~チーム競技で世界を狙う~」という記事で書きましたが、ワタクシ松葉は HADO というテクノスポーツをやっています。

そして2017年12月3日(日)、HADO WORLD CUP 2017 という世界大会に出場してきました。

出場チームはこちら。

各大会で出場権をゲットしてきた強豪が集う大会。予選トーナメントでは各ブロックの第1位が決勝リーグへ進み、第2位が敗者復活枠へ進みます。決勝リーグで勝ち上がると、見事優勝ということです。

私が所属するチームは、「わちゃごな☆ピーポー」

ありがたいことに、優勝することができました。

日本一 さらには 世界一。

中々言えるものではありません。そんな素晴らしい称号をいただき、本当に本当に感謝しかありません。

まだまだ競技人口の少ないテクノスポーツですが、そんな小さい中にもたくさんの、本当にたくさんのストーリーがありました。

感動の大きさは知っているかどうかで変わる

涙の意味は分からなくとも、涙が語るその重さ

本戦とは別に、ゲストのミニトーナメントも合間に開催されていたのですが、そこに出場されたゲストの方が最後のインタビューで、食い気味にこう仰っていました。

「本当にいま見ててめちゃめちゃ感動しちゃって、本当に来年は本戦で出たいなって想うくらいめちゃめちゃ楽しかったです」

ゲストの方たちは、決勝リーグのとき、ずっと舞台裏にいらっしゃいました。
そんな中で私たちは、1戦1戦終わるたびに舞台裏でガン泣きして、反省会と作戦会議を繰り返していました。きっとその一部始終を見ていたんだと思います。もちろん、涙の意味までは分からないでしょう。しかし、「涙を出す」という行為が、その重さを語っているのです。

きっと映像には映らないそんな裏の事情を、見ていたからこそ、こんな言葉が出たんじゃないかと思っています。

その場で感じる会話と空気

この大会はYouTubeやFacebook Liveでライブ中継されていました。ですが、実際に観覧に来た人とは感じるものが大きく異なると思います。

それは情報量です。

ライブ中継は、良い意味でも悪い意味でも切り取られた、制限された情報量を発信しています。そこには撮影者や編集者の意図が介在し、その後ろを見ることは出来ません。

対して観覧している人は、出場者の会話の節々を耳にすることが出来ます。ハイタッチもできますし、緊張で冷えた手の温度や、硬い表情を間近で見たり感じたりすることが出来ます。

もちろんライブ中継でも感動できると思います。しかし、生での観覧の方が感動は大きいのではないでしょうか。しかしそれは、場所の問題というよりも情報量の差なのです。その場にいない人に同じくらいの感動を伝えるためには、そんな五感を刺激する情報を伝える必要がある、ということですね。

床に寝転がって、その先に見つめるもの

試合に負けて悔しがるというのは普通のことです。私も今まで何度も経験してきました。

この世界大会でも、負けた後にフィールドに大の字になって寝転がって、ちょっと間動けない人がいました。それを見た人は、「あぁ悔しいんだろうな」と思うでしょう。誰でも分かります。

しかし、生で観戦していた人でも分からないものがあります。

それは、その人の今までの努力です。

その人が毎日練習し続けていたことを知っている人と知らない人では、きっと、その様子を見て想うことは違うはずです。毎日練習するってすごいことなんですよ。特にこのHADOはできる場所も限られています。費用もかかります。時間も限定的です。それでも、毎日やってのけたのです。みんなが出来ていないことを、やってのけたのです。

これを知っている人は、きっと想うことが違うと想います。つまり、努力のエピソードを知っていると、結果をより重く感じることができるということです。

情報をいかにインプットさせるか

以上の通り、感動させるポイントは情報をいかにインプットさせるかということです。

感動を体感できる要素は、表面上にその場では現れないものもあります。舞台裏で起こっていることや、音や体温などの目には見えないもの、過去のエピソードなど、あらゆる角度から見つめてみて、どの情報をどのように出すことが出来るか、考えてみてください。

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